2016年03月25日

覚せい剤〜ムゲンノカナタヘ

私には何人かの師がいますが,その中の1人の方から,弁護士に成り立てのころ,いくつもの役立つアドバイスをいただきました。

たとえば,「交渉事はなめるな,なめられるな,だ。なめられてはいけないが,なめてもいけない。」というもの。最近はあまりないですが,ヤミ金との交渉などのときによく思いだしたものです。

そのアドバイスの一つに,「覚せい剤は理由を問わず駄目なんだ。理由を考えると使ってもよいという方向になる可能性があるから駄目なんだ。」というものがあります。
別に言われなかったとしても覚せい剤など使うことはないだろうし,なんだかな,というところですが,その他に応用すると役立つこともあり,やはり禁止されていることは,理由を問わず駄目なんだと考えた方が簡単だし,間違わないといえると思います。
ちなみに,いくつもの役立つアドバイスを思い出そうとしましたが,上記くらいしか思い出せません。が,たぶん理屈っぽいのが沢山あると思います(?)。


覚せい剤に話を戻すと,昨今有名プロ野球選手OBが賑わせていますが,彼も,覚せい剤が禁止されている理由を考え,自分は大丈夫だと思ったのかもしれません。
そもそも何故覚せい剤を使ってしまうのかというところですが,何件も覚せい剤事犯の弁護人をしても,明確なことは分かりません。
世間では,先の例で使用した理由を明らかにすべきである!と息巻いている方もいらっしゃるようですが,裁判でこのあたりを明確にすることは必ずしも可能とはいえません。
裁判は真実発見をも目的としますが,本当の真実は,第三者からはさっぱり分かりません。
もしかしたら,本人も分からないのかもしれません。人は忘れゆく生き物ですし,精神構造は複雑怪奇です。

ところで,覚せい剤といえば,依存性が高く,再犯の可能性が極めて高いと言われるところで,実際にもその通りであると思います。
しかし,覚せい剤事犯から再起している人方もいらっしゃいます。

たとえば,歌手の槇原敬之さんなどは,(明確には分かりませんが)覚せい剤を絶ち,成功されているように思われます。
あの「世界に一つだけの花」は覚せい剤事件の後ですし,「歌が、人の心の中で、本当の意味で必要なものでありたいと思ってから、急にすべてが変わりました。だからこそ、SMAPの歌が書けたと思う。昔、ああいう曲を書いていたら、何となく大義名分を振りかざした、流行で終わってたと思う。でも、今は心からそう思うし」(http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2005/sun051023.html)などと,うまく更生されているように思います。



そういえば,知る人は少ないかもしれませんが,同人の曲に「ムゲンノカナタヘ」という名曲(?)があり,以下の歌詞があります。


キャプチャ5.JPG














仕事柄,人の「駄目だった時」を見ることが多いですが,そんなとき望む「未来」を「思い描く」ことでなんとかなるというのは大変共感するところです。駄目だ駄目だでは何も解決せず,悪化します。どうなりたいのか,どうなるのかをイメージしなくてはなりません。

槇原敬之さんも,未来を思い描き,また,「駄目だった時のことをリアルに思い描けるその想像力」を生かして活動されているのでしょうね。
この曲が入っているアルバムは,他にもよい曲,よい歌詞ばかりです。

私も,辛いときには,なかなか司法試験に受からず,その日暮らしをしていた時のことを忘れないようにしています。


覚せい剤に限らず,過去のマイナス要素は,未来のプラス要素にもなり得ると思います。

駄目だ駄目だ,というとき,未来に悩んだときには,騙されたと思って,上記「ムゲンノカナタヘ」を聞いてみてください。

posted by 水越法律事務所 at 12:02| 弁護士として思うこと

2016年02月10日

インターネットと情報化社会と消費者被害

昨今,インターネットを利用した結果発生する,今までに無いような類型のトラブルの相談が多くなってきています。

Twitter,Facebook等のSNSの成りすまし。

webを巧みに利用した投資詐欺。

webを介して行うので,加害者が海外にいるパターンの詐欺。

オークションでのトラブル。

情報商材といわれるもののトラブル。

仮想通貨関係のトラブル。

名誉毀損,営業妨害,人格権侵害。





Twitter,Facebook等のSNSの成りすましは,財産的価値を損なうようなケースこそあまりありませんが,Aと名乗るものが実際はAでない,というのは実に恐ろしいものです。

webページは,多少の技術があれば,個人でも大企業のそれと同じような外形を簡単に作出できますので,webページを巧みに利用した投資詐欺については,信じてしまう方が愚かとは言いがたいものがあります。インターネットに慣れない高齢者の方であれば,なおさらです。

このような詐欺は,海外の人,団体によって行われることもありますが,その場合,被害回復,実態解明は著しく困難になってしまいます。

オークションは便利ですが,いい加減な個人が売主となることが多く,商品が届かない,返金もしないというトラブルが後を絶ちません。

情報商材という,いわゆるノウハウ的なものが高額で販売されています。そのノウハウが真実であれば,決して他者に販売しないでしょうけれど,真実であるとして購入してしまう人が後を絶ちません。現代版ネズミ講の様相を呈する事案も散見されます。

チェーンブロック技術を用いた仮想通貨は,将来的に国際通貨になる可能性がないわけではありませんが,現状では,魑魅魍魎。法的規制も間に合わず,今後,詐欺やトラブルの温床となりそうな気配です。

名誉毀損,営業妨害,人格権侵害は,相変わらず散見されます。ネット社会のみならず,日本国全体が,エキセントリックな反応をしがちであり,それが容認されているような現状において,今後もネットでの人権侵害は続きそうです。googleを相手にした削除仮処分手続をするなどしていますが,他方で表現の自由という大きな価値もあるため,インターネットでの人権侵害を食い止めることは難しそうです。



裁判の場面でも,Twitter,Facebook,webページ,メールが証拠として出てくる場面が著しく増えています。



インターネットは,グローバル(世界中に把握しうる),永続性(消えない),簡便性(パソコンさえあれば,いやスマートフォンからでも,容易に行為しうる。),匿名性(表面的には,誰が行為主体であるかの判別が困難。)を有しているため,簡単に違法行為が為され,その被害は莫大となるという特徴があります。



インターネットは大変便利ですが,他方で,リスクのある場面もあること,インターネットと現実社会の違いをよく認識して使うこと,などマイナス面も強く意識して使っていくべきであると思います。


(参考)掲示板に誹謗中傷を書かれた場合の対処法
http://mizukoshi.org/bbs.html
posted by 水越法律事務所 at 14:30| 弁護士として思うこと

2015年07月01日

ワカイ 

 弁護士は紛争を解決する仕事であると思っています。

 紛争解決手段は,大別して,以下の二つがあげられます。
1 誰かに判断して貰う=判決,審判,決定等
2 自分で決める=和解(示談)

 どちらがよいのか?

 ケースバイケースではありますが,和解を選択しなければならない場面は多く,その際に,和解のメリットをアドバイスさせていただく機会が往々にしてあります。

 その際に,書いたことを備忘録代わりとして,記載しておきます。
 和解するかどうか迷っている方?はご参考までに。


和解のメリットは?

 弁護士として,和解を勧めずに,粛々と訴訟等を進行することは容易ですし,ストレスも少なく,精神衛生上も望ましいことではあります。

 しかしながら,紛争解決,特に依頼者の利益をはかるという観点から考えると,判決を得るというのは大変リスクのあることですので,和解による解決は判決による解決に比してメリットが大きいことが多いと考えられます。

 以下,一般論として,和解による解決が優れていると思われる点について述べます。
 和解は,自らで結論を決められ,相手方も一応は納得している状況が作出されます。一方で,判決は他人任せであり,双方の意向に反する判決というのも珍しくありません。和解には結果への支配可能性があり,判決には支配可能性が必ずしもありません。

 また,判決による解決の場合,遵法精神のない義務者は義務にしたがわないことも往々にしてあります。支払能力が無い場合もありますが,何より支払意思が重要であると考えられるところ,他人に決められた結論に従わないという義務者は少なからず存在します。
 任意に支払わないとなれば,強制執行による手当の不十分性の問題,無資力の問題が顕在化します。
 和解による解決であれば,実質的な経済的利益の確保のための方策を手当することも可能ですし,一般に自ら約束した義務の方が,押しつけられた義務よりも履行可能性が著しく高いものです。
 ここでも,和解は履行に対する支配可能性が高く,判決は低いといえます。

 判決は,第三者たる裁判所による強制手段であることから,新たな紛争を生み出す要因となることもあります。
 和解であれば,清算条項(相互に権利義務無し)を設けることが通例ですし,感情的な納得性もあるので,判決に比して,新たな紛争の呼び水となる可能性は少ないといえます。
 その点で,和解の方が,将来における紛争予防という点のメリットがあるといえます(これも相手方が将来変なことをいってこないという点についての支配可能性が大きいといえます)。

 相手方がどのように動くかは,相手方次第であり,良くも悪くも自由なわけですので,少しでも支配可能性が高い方策が優れていると考えられます。

和解のポイントは?

 そして,和解について検討する際に重要な要素は,物差しのスタート地点を紛争事件発生前ではなく,現時点に設定すること,相手方を含めた他人には必要最小限の事項のみについて信頼し,その他の多くを期待しないこと,などであると思います。
 紛争において,人々が一様に思うのは,紛争前の状態に戻せ,ということですが,それは,時間が不可逆である以上,不可能です。紛争が起こってしまった以上は,その客観的な事実を前提に考えるべきであり,スタートを紛争前に設定することは紛争解決を著しく困難にする要因であると思います。
 紛争後の現時点を物差しのスタート地点とすることにより,どの方策がベターかを冷静に判断することができると思います。
 また,この物差しの考え方ともリンクするとも思いますが,和解の場面においては,過去の悪事を非難するというよりも,将来の賠償等に向けて履行を求めるという積極的要素が重要です。
 その場面で,履行に直接関係しない事項は問題にする必要がありませんし,問題にすれば,和解は壊れる方向に動きます。
 和解する時点以降においては,少なくとも和解に関する事項については相手方を信頼する必要がありますし,これまで紛争状態であったことからすれば,その他に期待をすべきでない,と思います。

 以上は,経験的,理念的な事柄であり,十人十色,必ずしもこのような考え方がよいというわけではありませんので,ご参考までにという趣旨です。

 本当に和解を進めることにより納得していただけているか否かは,知り得ないし,不安なことです(いただきものの真意にそのあたりを書きました)。

 弁護士として,このような考え方はまだ「若い」といわれてしまうようなことなのかもしれませんが,自らの命運は自らで選択した方がよいと思いませんか?





 闘うときは闘いますよ。
posted by 水越法律事務所 at 18:43| 弁護士として思うこと