2015年07月01日

ワカイ 

 弁護士は紛争を解決する仕事であると思っています。

 紛争解決手段は,大別して,以下の二つがあげられます。
1 誰かに判断して貰う=判決,審判,決定等
2 自分で決める=和解(示談)

 どちらがよいのか?

 ケースバイケースではありますが,和解を選択しなければならない場面は多く,その際に,和解のメリットをアドバイスさせていただく機会が往々にしてあります。

 その際に,書いたことを備忘録代わりとして,記載しておきます。
 和解するかどうか迷っている方?はご参考までに。


和解のメリットは?

 弁護士として,和解を勧めずに,粛々と訴訟等を進行することは容易ですし,ストレスも少なく,精神衛生上も望ましいことではあります。

 しかしながら,紛争解決,特に依頼者の利益をはかるという観点から考えると,判決を得るというのは大変リスクのあることですので,和解による解決は判決による解決に比してメリットが大きいことが多いと考えられます。

 以下,一般論として,和解による解決が優れていると思われる点について述べます。
 和解は,自らで結論を決められ,相手方も一応は納得している状況が作出されます。一方で,判決は他人任せであり,双方の意向に反する判決というのも珍しくありません。和解には結果への支配可能性があり,判決には支配可能性が必ずしもありません。

 また,判決による解決の場合,遵法精神のない義務者は義務にしたがわないことも往々にしてあります。支払能力が無い場合もありますが,何より支払意思が重要であると考えられるところ,他人に決められた結論に従わないという義務者は少なからず存在します。
 任意に支払わないとなれば,強制執行による手当の不十分性の問題,無資力の問題が顕在化します。
 和解による解決であれば,実質的な経済的利益の確保のための方策を手当することも可能ですし,一般に自ら約束した義務の方が,押しつけられた義務よりも履行可能性が著しく高いものです。
 ここでも,和解は履行に対する支配可能性が高く,判決は低いといえます。

 判決は,第三者たる裁判所による強制手段であることから,新たな紛争を生み出す要因となることもあります。
 和解であれば,清算条項(相互に権利義務無し)を設けることが通例ですし,感情的な納得性もあるので,判決に比して,新たな紛争の呼び水となる可能性は少ないといえます。
 その点で,和解の方が,将来における紛争予防という点のメリットがあるといえます(これも相手方が将来変なことをいってこないという点についての支配可能性が大きいといえます)。

 相手方がどのように動くかは,相手方次第であり,良くも悪くも自由なわけですので,少しでも支配可能性が高い方策が優れていると考えられます。

和解のポイントは?

 そして,和解について検討する際に重要な要素は,物差しのスタート地点を紛争事件発生前ではなく,現時点に設定すること,相手方を含めた他人には必要最小限の事項のみについて信頼し,その他の多くを期待しないこと,などであると思います。
 紛争において,人々が一様に思うのは,紛争前の状態に戻せ,ということですが,それは,時間が不可逆である以上,不可能です。紛争が起こってしまった以上は,その客観的な事実を前提に考えるべきであり,スタートを紛争前に設定することは紛争解決を著しく困難にする要因であると思います。
 紛争後の現時点を物差しのスタート地点とすることにより,どの方策がベターかを冷静に判断することができると思います。
 また,この物差しの考え方ともリンクするとも思いますが,和解の場面においては,過去の悪事を非難するというよりも,将来の賠償等に向けて履行を求めるという積極的要素が重要です。
 その場面で,履行に直接関係しない事項は問題にする必要がありませんし,問題にすれば,和解は壊れる方向に動きます。
 和解する時点以降においては,少なくとも和解に関する事項については相手方を信頼する必要がありますし,これまで紛争状態であったことからすれば,その他に期待をすべきでない,と思います。

 以上は,経験的,理念的な事柄であり,十人十色,必ずしもこのような考え方がよいというわけではありませんので,ご参考までにという趣旨です。

 本当に和解を進めることにより納得していただけているか否かは,知り得ないし,不安なことです(いただきものの真意にそのあたりを書きました)。

 弁護士として,このような考え方はまだ「若い」といわれてしまうようなことなのかもしれませんが,自らの命運は自らで選択した方がよいと思いませんか?





 闘うときは闘いますよ。
posted by 水越法律事務所 at 18:43| 弁護士として思うこと

2015年02月28日

白か黒か

http://kazoo04.hatenablog.com/
これは面白いです。
簡単に言えば,ものを見るときに,ただただ機械的に見ているのではなく,周辺の情報とともに見ているということのようです。
物差しをどのようにに設定するかで見えるものが変わってくるのですね。


弁護士業務を通じても,この物差しの設定の仕方によって,感じ方が違うのを痛感します。

たとえば,仮に何かを失ったら,失ったところをスタート地点とした物差しでみれば,少し取り戻したらハッピー。
失う前のスタート地点を動かさない物差ししかもてない人は,少し取り戻しただけでは,満足できず…。

場合によっては,物差しが時とともに変わっていき,当初は,少しでも取り戻せればよいと考えていたけれど,上手く進むにつれて,どんどん欲が出て…というようなケースもあるように思います。

物差しの設定の仕方を変えられたらいかがでしょうか,当初の物差しを忘れていらっしゃるのでは?と進言することもあるのですが,人それぞれの脳のメカニズムの特徴みたいなものがあって,簡単には変えられないのかもしれませんね。

リンク先のドレスは,意識を変えて見てみても,白にしか見えません。
黒に見える人がいるのがにわかに信じがたいけれど,黒に見える人からすれば,白に見える人がいるのがにわかに信じがたいのでしょう。
posted by 水越法律事務所 at 21:47| 事務所

2015年01月30日

いただきものの真意




事件が解決した20150129_200640.jpg後,依頼者の方から,御礼として立派な胡蝶蘭が送られてきました。














何度か触れているとおり,当事務所には,開業時いただいた胡蝶蘭,その後事件の解決の御礼でいただいた胡蝶蘭があり,どれも,一定の間隔で花をつけています。

今回いただいた胡蝶蘭も,是非とも,この後何度も花をつけてもらいたいものです。



ところで,我々の仕事は,スムーズに進むことはほとんどなく,紆余曲折を繰り返した後に完了,すなわち紛争が解決することが多いです。
紛争は相手のあることであり,また,裁判の難しさも手伝って,事件の解決は,必ずしも,思惑通りにいくものではありません。進むにつれて明らかになる事項も多く,それにより,帰趨が左右されます。

そんな紆余曲折や依頼者の方の忸怩足る思いを感じることも多く,事件が解決したといっても,依頼者の方は満足していただいたのだろうか?大丈夫だろうか?と思うことがままあります。

先行きの結論が不利な見通しであれば,その旨をご説明して,一定の譲歩のうえでの解決をお勧めします。その場面では,ともすれば,依頼者の方からすれば私の利益をはかってくれない!とも思われる可能性もあります。
しかしながら,不利な結論が目に見えているにもかかわらず,無策なのは信義にもとると思うので,一生懸命説明をして理解して貰おうとします。
こんなとき,説明は正しく伝わっているのだろうか,無理に説明せずに,不利であっても裁判所なりの判断を貰っておわりにした方がよいのか,と悩む場面があります。というよりも,ほとんどの事件で,このような悩みに直面します。

このような悩みの中,やはり,理解が得られるかは分からないけれども,有利な結論を得るために説明をし,解決をはかるのですが,解決後も,依頼者の方にとって,それでよかったか否かは不明です。

答えが無いので,結果が正しいかどうかを検証する術がないのです。



ただ,一点。
依頼者の方が真に喜んでいただけた場合,これは結果が正しかった場合であると思います。



いただきものは,当然それだけでなんとなく嬉しくはありますが,そのような結果を検証・確認できるという意味で,業務上あまりない,ほっとする瞬間です。


とはいっても,別にいただきものを要求しているわけではありません(^^;)。



いただきものは,ほっとしますが,いただきもの以上に嬉しいのは,前に事件解決した元依頼者の方が,知り合いの方のご紹介をしてきてくれることです。

以前の事件に満足していただいたからこそ,他人に勧めることができるのでしょうから。








ぽっとする瞬間です。

posted by 水越法律事務所 at 11:00| 事務所